【読書感想言わない文】人間失格

人間失格」(太宰 治)

 

カナダ出身で「アメリカの恋人」と呼ばれた

女優メアリー・ピックフォード(1892-1979)は

年間100万ドルを稼いだ最初の女優であったし

自分で自分の映画を世に出した最初の女優であった。

 

つまり

当時の成功者の一人である。

 

しかし。

私生活では離婚などもしているし

出演した映画にも大ゴケしたものもあるから

すべてが順風満帆だったわけではなく

人並みかそれ以上に苦悩もあったはずだ。

 

「失敗とは転ぶことではなく

そのまま起き上がらないことだ」

という彼女の残した言葉からは

まさしく自身の生き様が滲んでいて

多くの人々を勇気付けたことだろう。

 

塾で新しい単元の授業を受け理解をする。

そして、問題を解く。

たとえ間違えてしまっても

それは出来ないということを

確認できたということなのであって

大いに喜べばよいのである。

 

間違えることを怖がったり

問題に取り組むことを面倒臭がっていては

理解することと、出来ることの間にある壁を

いつまでも突破することができない。

 

前者は試験までに

何を出来るようにするのかが明確だから

迷いはない。

後者は

「自分が何が分からないのかが分からない」

という状態のままだから

迷走する。

 

だから当塾では

勉強が出来ないことは罪でも何でもないが

勉強をやらないことは罪である。

宿題をやって間違えるのは良し、

宿題をやらないことは悪である。

 

そこは徹底している。

 

他塾で宿題をしなくても注意されなかった

という話を聞くたび、

そりゃ出来るようにならないぜ…と

ためいきが出る。

 

それでは

転んで起き上がらないどころか

一歩も進んでいないではないか。

 

さて「人間失格」(太宰治氏)。

勉強での悩みなんて、本当に浅いもので

いくらでも取り返しがきくものだ。と

前向きに捉えるきっかけにしてもらいたい。

【読書感想言わない文】船を編む

「船を編む」(三浦 しをん)

 

中3の漢文の授業で「論語」を扱っている。

「子曰く」から始まるアレだ。

 

論語は、孔子と弟子たちの言行を記録したものである。

倫理や道徳を説き、理想的な社会をつくろうとした孔子の教えは

今日の日本人にも大きな影響を与えている。

 

その論語の中に以下のものがある。

 

「子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者。」

子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。

     これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。)

 

これは

 

孔子先生がおっしゃるには

「何かについて詳しく知っているというだけの人は、

それを好きな人には及ばない。

それを好きな人は、

それを真に楽しんでいる人には及ばない。」と。

 

という意味だ。

 

「好きこそものの上手なれ」という諺もあるように、

好きで一生懸命にやっている人間は

量をこなすことも厭わないし

質を上げるために工夫も凝らす。

努力が苦にならないのだ。

だから、あっという間に上達していく。

 

でも、その上には上がいて

一流や超一流と呼ばれる人たちは

「努力をする」という概念がもはや無い

というレベルだったりする。

楽しくて仕方がないんだろう。

 

さて「船を編む」(三浦しをん氏)であるが、

これは新しい辞書編纂の現場を舞台とした話。

辞書作りに人生を捧げている人達の情熱は

もはや「好き」だからやっているというレベルのものではない。

 

いま、一生懸命になれる「何か」を持っていない生徒に

是非読んでもらいたい一冊である。

【読書感想言わない文】永遠の0

永遠の0」(百田 尚樹)

 

夏と言えば

海、山、という生活を送っていた。

 

生っ白い体を焼こうとして

テントの前にシートを敷いて寝転がり

ぐうぐう眠った。

案の定

全身水ぶくれになり

しばらく寝返りを打てなかった。

 

クワガタに挟まれたらどんぐらい痛いのか

試しに指に・・と、

ひどく後悔したこともある。

 

キャンプで使った鍋を洗うのが面倒で

そのまま物置にぶち込んだこともある。

しばらくして蓋を開けてみると

見たこともない色の黴が跋扈していた。

 

夏休みの宿題なんぞは

たいてい最終日あたりに慌てて片付けてたし

当然ながら大した仕上がりにはならない。

 

間抜けな小学生だった。

 

小学5年の夏。

その年も自由研究 を慌てて片付けようと

図書館に駆け込んだ。

残された時間は僅かだから

大がかりなものは望めない。

いっそ、どこかの国のガイドブックを

レポート用紙に丸写ししてしまおうと手にしたのが

スペインの本だった。

 

地中海。

真っ青な空。

強い日差し。

それに負けないように白く塗られた

どこまでも続く街並み。

 

その写真に心を奪われて

建築の勉強をしたいと思った。

こんな美しい町を作ってみたい、

そのための道筋である。

 

そこからは

勉強が好きになった。

 

単純な性格なのだ。

今も昔も。

 

さて、「永遠の0」(百田尚樹氏)。

私が間抜けで呑気な幼少時代を過ごせたのも

ふわふわした夢を抱くことが出来たのも

先人たちが「平和」な時代を築いてくれたからこそ。

 

まさに、有難いことなのだ。

 

夏、

勉強に気合いが入らない生徒は

一度読んでもらいたい。

 

勉強を出来ることが

どれだけ有難いことなのか

分かる。

【読書感想言わない文】東京すみっこごはん

「東京すみっこごはん」(成田 名璃子)

 

うちの塾では、

格闘技の道場よろしく

「心・技・体」の充実の大切さについて

話すことがある。

 

英文法や数学の解法などの

技術を身に付けることは

勉強の第一歩だ。

 

そこに組み合わせる単語や熟語などを覚える、

時制や他の文法との複合に気を配る、など

二歩目、三歩目・・と道のりは長い。

 

ここで、時間の経過とともに

心にも変化が起きることがあることにも

注意をしなければならない。

 

家族や友達など関わる人間の数が増えれば、

その中で良いことも悪いことも起こる。

そのときどきの気持ちの変化に左右されて

勉強をしたりしなかったり、

机に向かっていても集中していなかったりしてては、

それまでの歩みを無駄にしかねない。

 

また、

健全な魂は、健全な肉体に宿るというように、

肉体の好不調は、脳の働きに直結している。

試験時にひどい風邪をひいてしまって

実力を発揮できずに涙を飲むといった例は

古今東西よく耳にすることだ。

 

体を壊したり体調を崩したりしては、

いくら「技」や「心」があろうと

まともな勝負は出来ない。

 

つまり、

心技体の中でも、

とりわけ「体」の部分の充実は重要なのである。

 

「体」の充実を図るためには

運動・睡眠はもちろん大切であるが、

食事も忘れてはならない。

 

運動をしようが、睡眠をとろうが、

口にするものの質・量・バランスが崩れていれば

好調を維持することは難しい。

 

ただし、

食べたいものを極限まで我慢したり

栄養重視で好きでもないものを飲み込んだり

そんなストイックになる必要はないと思う。

 

食べることの喜びを忘れるような食べ方は

止した方がいい。

 

さて、「東京すみっこごはん」(成田名璃子氏)であるが、

これはルームシェアならぬ、

キッチンシェア(”共同台所”)を舞台とした話である。

知らない者同士が集まり食事を作り

それを食す。

 

過去に無い舞台設定であるが、

食べることの喜びとは何なのかを気付かされ、

晩ご飯が待ち遠しくなること請け合いである。

【読書感想言わない文】漁港の肉子ちゃん

「漁港の肉子ちゃん」(西 加奈子)

 

満点道場の塾生は「家族」である。

 

いや。いやいや。

 

もちろん

人類皆兄弟!とか、

ここは神の家である!!とか、

天にまします我らの父が!!!とか、

そういうことではなく

学校の先生と塾の先生のスタンスの違いからの発言である。

 

学校の先生の一番の仕事は

勉強を教えることではなくて

成績をつけることだと思っている。

 

愛情・情熱を持って授業に臨む先生も多い。

しかし、どれだけの想いを持ってしても

すべての生徒に5をつける訳にはいかず

公平に5段階の評価を下さざるを得ない。

 

ときには断腸の思いで

5から4へ下げることもある。

公平なジャッジを下す立場上、

特定の生徒の味方とは言えない。

 

一方、我々の一番の仕事は

勉強を教えることではなく

成績を上げること、

入試で合格させることである。

 

成績を上げるために

当然勉強は教えるし

ノート作りも手伝うし

提出物の期限にも注意を払う。

まさに親代わり、

親身になって支えるサポーターである。

 

だから

宿題をやらない

忘れ物をする

無断遅刻・欠席をするなど

勉強以前の問題については

遠慮なく叱り飛ばす。

 

勉強ができないなら

休日を返上してでも

とことん付き合う。

 

そういう間柄だから「家族」なのだ。

 

「漁港の肉子ちゃん」(西加奈子氏)という

タイトルに、まずやられる。

そして表紙のイラストもどぎつい。

しかし、なによりも

この物語で紡がれる「家族」の姿に

こころを動かされる。

 

そして、近年で一番笑った小説だ。

おすすめ。

【読書感想言わない文】すべてがFになる

すべてがFになる」(森 博嗣)

 

ここ数年

数学や理科を苦手とする生徒が増えている

ような気がしている。

 

速さ・時間・距離の問題や

歩合や百分率などの割合の問題はもちろん

根本的な四則演算からしてあぶない。

そんな生徒がざらにいる。

 

大人になっても

速さと速度の違いを説明できない人は多いし

8%の消費税の計算をぴったり暗算せずに

レジに任せることも多いだろうから

「できなくても生きていける」のだろう。

 

電流や電圧が分からなくても

溶質・溶媒・濃度の計算が出来なくても

生きていけるから良いというのなら

それでいい。

 

さて、生きていくためには

生活費を稼がねばならないだろう。

どうせ働くのならば

やりたくない仕事よりも

やりたい仕事に就く方が良いだろう。

 

で、ようやくめぐりあった「やりたい仕事」には

やりたくない仕事も当然くっついてくるし

苦手なことにも挑戦しなければならないし

未知との遭遇の連続の中で

答えのない答えを出していかなければならない。

やりたいことだけできる仕事なんてものは

たぶん、ない。

 

そこで役に立つものの中に

論理的思考力というものがある。

論理とは道筋のことであり、

すなわち

物事を法則的につなぎ合わせていくことだ。

 

未知のものを

自分の知っている物事に結び付けていくことで

体系立てて理解していくことができる力である。

 

「生きていく」だけなら必要ないかもしれないが

より良く「生きていく」ために大いに役立つ考えである。

 

数学や理科という科目は

さまざまな分野から成り立っていて

得意・不得意な部分が出やすいものだが

好き嫌いを乗り越えて

答えを論理的に導き出す楽しさを

味わってもらいたい。

 

さて「すべてがFになる」は

作者の森博嗣氏が名古屋大学助教授時代に書いたミステリである。

氏は工学部の先生であったため理系用語が飛び交うので

物語の展開の面白さはもちろん

理系の知的好奇心が刺激される一冊である。

【読書感想言わない文】文福茶釜

「文福茶釜」(黒川 博行)

 

日本では中学三年までが義務教育だ。

 

十四五にもなれば子どもではないが

かと言って自立が出来るほどの大人でもなく

云わば半人前の時分に岐路に立たされる。

 

ー進学か、それ以外か。

 

かねがね言われてきているように

日本ではお金と仕事に関しての知識を

基本的なことすら教えてもらえない。

しかも、

進学に関する情報も各自で収集しなければならない。

 

半人前の状態で社会に出ざるを得ない人間がいる以上

せめて自立の足がかりとなる知識や情報は

義務教育期間中に与えるべきだと思う。

 

情報化社会の成熟に伴って

誰しも簡単に様々な情報に触れることが出来るようになった。

 

しかし一方で、

それらの情報は

玉石混淆ならばまだしも

真贋入り混じっている。

 

悪意を持った人間が

お金や仕事に関する贋の情報を流し

半人前が真に受けて潰される。

そんなことが日常的に起こっている。

 

古き良き時代のムラ社会であれば

年長者たちが若者たちに

あれこれ指南してきたことだ。

 

皮肉なことに

より多くの情報に囲まれているにもかかわらず

正しい情報を信用できる人間から受け取る機会が

激減しているのである。

 

国を作るのは教育である。

二次関数や関係代名詞も大事だが

日本を支える若者たちにはもっと

生きるための教育もしなくてはならないだろう。

 

「文福茶釜」(黒川博行氏)は

古美術をめぐる騙し合いの話である。

作者の黒川氏は高校の美術教師という異色の経歴を持つため

その美術に関する深い造詣に思わずうならされる。

 

真贋を見極める目を持つには

多くの失敗も必要となるはず。

それが命取りとならないよう

微力ながら塾生を支えていきたい。