【読書感想言わない文】十二国記

十二国記シリーズ」(小野 不由美)

(「魔性の子」~「黄昏の岸 暁の天」※シリーズ未完)

 

数学や物理などの成績を上げる為には

国語の勉強をするのが近道だと聞いたことがある。

 

現代国語を読み解く上で

論理的に物事を捉える力は必要不可欠だし

数学を始めとする理系科目のほとんどが

論理的思考力を要するからだ。

 

という側面もあるが、

実はこれだけではない。

 

数式とは記号であり、

記号とは抽象化されたものである。

この抽象的な概念に対して想像力を働かせ

具体的な事案に結びつけていく能力がなければ

計算問題は解けても、文章題は解けるようにはならない。

 

では想像力を磨く方法とは何か。

 

それは、読書なのだそうだ。

 

目で捉えた文字情報を脳内でイメージをすることが

良いトレーニングになるのだそうだ。

 

しかもこの想像力とは、

トレーニングを積めば積むほど広がりを見せ

難解な文章をも瞬時に把握するまで高めることができるそうだ。

 

これは聞きかじりなので正確な情報がどこにあるのかは知らないが、

イエール大学などの学生の中には

年間で1000冊~3000冊読むような猛者がゴロゴロいるそうだ。

 

読書量=学力というような乱暴なことは言わないが、

確かに読書好きの生徒で勉強が苦手という子は見かけない。

 

願わくば、学校教育の中で

「読書を強制する」ことだけは避けてもらいたい。

強制されれば苦痛になり、苦痛は読書から足を遠ざける。

 

もっと気楽に、ただ楽しんでもらいたい。

 

だから言う。

小野不由美氏の「十二国記」を読め!と。

 

壮大な世界観に、緻密な描写。

国を統べる者の苦悩、それを取り巻く者の思惑。

ファンタジーならではの、非現実的な設定も不自然に感じられない。

 

最初の3巻を読み切れば、

すっかり設定を理解できるので

その後はページを捲る手が止まらなくなるはず。

 

十二国記シリーズ〉

魔性の子

月の影 影の海 上

月の影 影の海 下

風の海 迷宮の岸

東の海神 西の滄海

風の万里 黎明の空 上

風の万里 黎明の空 下

丕緒の鳥

図南の翼

華胥の幽夢

黄昏の岸 暁の天

 

このシリーズはまだ未完であるが、

次作が最終巻となる。

 

小野不由美氏の体調が全快されることを

心より願う。

【読書感想言わない文】神の子

「神の子」(薬丸 岳)

公立高校入試も終わり、
この土日は中1、2の学年末対策で
朝から大勢の生徒でごった返している。

もう少し広ければ良いんだけどね、
ごめんよ。

さて「神の子」。
これは知能指数160超という設定の
超天才が主人公である。

冒頭は、主人公がある犯罪組織で
振り込め詐欺のシナリオ作成を担当し
その知能を発揮。というシーン。

その後の展開は、いつものように伏せるが、
別世界・別次元の「天才」の
人間として成長していく様を丁寧に描写しており、
素直に応援したくなるところは、
他の天才を扱う小説とは異なる。

知能が高くとも、
それを何に向けて使うか、
そして誰と進んでいくかで、
「孤高」となるか「孤独」になるかが
決まるのだろう。

勉強を、周りの子に
懇切丁寧に教えてあげている生徒を見て、
この子はきっと良き人生を歩むんだろうなと
しみじみ思った。

【読書感想言わない文】のぼうの城

のぼうの城」(和田 竜)

 

織田信長が天下統一を目前にして本能寺の変で討たれたその頃、

信長の麾下秀吉は軍師黒田官兵衛とともに、

毛利方の備中高松城を攻略していた。

 

秀吉という戦略・政略の天才が

後に天下統一という事業を進めていく中で

様々な逸話を残していることは周知の通りだが、

このときの備中高松城の「水攻め」はスケールがぶっ飛んでいる。

 

近くの川から水を引き込んで

「高さ5mの城を水に沈める」という発想自体もすごいが、

高さ8メートル(断面が上底12m・下底24mの台形)、

長さ4kmの堤をたったの12日間で築き上げる実行力は

凡人としては「すごい」としか言いようがない。

 

なお、この一大事業に関わっていた人物に石田三成がいる。

 

 

さて「のぼうの城」はこの水攻めからおよそ8年後の

現在の埼玉県行田市にある忍城が舞台である。

 

豊臣秀吉が天下統一を目指し関東に乗り込み

北条氏を討ち滅ぼさんとした際、

北条氏政が関東にある各支城に助勢を求めた。

その支城の一つが忍城である。

 

この忍城石田三成が攻め込むことになる。

 

しかし、忍城の反撃が激しく敗戦。

一時退却後、「水攻め」を決行する。

 

残念ながらこの水攻めは、最終的に失敗に終わる。

 

かの秀吉伝説の水攻めを目にしたら、

いつかは自分もこのスケールで指揮をふるいたいと思うのは

仕方のないことなのかもしれない。

 

しかし、何が大事なのかを理解しないまま

秀吉のやり方を真似ただけでは、ほころびが出てしまう。

 

これは、勉強にも通じる話。

人のやりかたを真似るだけではダメだよ。

【読書感想言わない文】義経

義経」(司馬 遼太郎)

 

中学2年生の国語の教科書には

平家物語の「冒頭部分」と「扇の的」、「弓流し」が

掲載されている。

 

それぞれ現代語訳も併記されているので

書かれている内容自体は読めば理解できる。

 

「扇の的」の概要はこうだ。

①沖に逃げた平家側から、陸にいる平家に対し、

 扇を掲げた小舟を流し射落として見せよという挑発を行う。

 「やれるもんならやってみな!」

 

②カチンときた義経那須与一に「やれ」と命令。

 

③与一は見事、扇の的を射落とす。

 

④平家の黒革縅を着た男が、与一の腕前に感動し舞を舞う。

 

義経「殺れ」⇒与一、舞を舞う男を射殺す。

 

⑥源氏「よくやった!」平家「心ないことを!」

 

この⑥のシーン。

平家側から「情けなし(心無いことを)。」と声が上がるシーンに

以前から、少し違和感があった。

 

だって、戦争じゃん?

敵を殺すのが普通では?と。

舞を舞う方がどうかしてるのではと。

 

しかし、本書「義経」を読んですべてがストンと落ちた。

 

平清盛が平家の世を築いてから後、

朝廷での政治に勢力を傾けてきた平家は

 武士から公卿へと変貌していった。

 

無論、価値観も変化を遂げ

荒々しい武骨なものよりも、雅なものを好むようになった。

 

だから、相手の腕前を讃えて舞うようなこともするのだ。

 

 

この「扇の的」の舞台は屋島である。

屋島には平家の本拠地があり鉄壁の防御を固めていたが

義経の奇襲により制圧され、平家は海へと退避したのだ。

※この鉄壁の防御をかいくぐる方法が凄いのだが割愛する。

 

この時、平家の総大将は平宗盛

その数は1000~2000。

奇襲をかけた源氏はわずか150。

平家が冷静に対処できれば、撤退することはなかったはずが、

総大将が真っ先に海へと逃げ込み、勝敗は決する。

 

公卿は政治家なのだ。

命あっての物種、死ぬくらいなら汚名などと考える者もいただろう。

 

命が惜しいのである。

 

 

一方、源氏を率いる義経

兄の頼朝をはじめ「源」の血に対して病的なまでの情愛を持っており、

死をも恐れぬ気迫で戦っている。

 

しかも、この戦いで側近の佐藤継信を殺されているのである。

※あまりの傷心に一時休戦し、継信を弔ってから戦闘を再開させている。

 

雅を演出したがる平家。

それを殺気立って血眼になっている石頭の義経

最後まで付き合うはずがない。

 

 

その後の「弓流し」のシーンも

この小説を読んでみると「いかにも義経らしいな~」と感じられ、

面白さがよく分かるようになる。

 

義経」、

中学生にもおススメである。

【読書感想言わない文】熊と踊れ

「熊と踊れ」(アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ)

 

金と学力はいくらあっても邪魔にならない。

 

と、中学のときに師匠が言っていたのを

今でもよく覚えている。

 

日本の美意識(?)、道徳観(?)からしてみれば、

人目を憚ることなく銭金のことを口にすることは

汚い(?)、悪い(?)ことであった時代である。

 

愛情や友情など金であがなえないものに限って、

人生において大切なものは多いのも事実であり、

「金があれば幸せ」ということでは無いだろう。

 

一方、学力に目を向けてみると、

これもまた「学力があれば幸せ」とは限らない。

一流大学を出ていても自死を選ぶ者も絶えないし、

犯罪に手を染める者がいることもまた事実である。

 

もちろん、「幸せ」の定義をあえてせずに

以上のようなことを考えていても不毛であることは承知の上で、

もう少し話を進めてみたい。

 

人生とは取捨選択の連続であり、

その選択の先に現在もしくは未来の自分がいるのである。

 

金と学力には、この選択肢を広げる能力がある。

 

金を払えば出来ること、金を払えば手に入れられるものがある。

学力があれば出来ること、学力があれば手に入れられるものがある。

持たざる者から見れば、羨まれるようなことができる。

持たざる者から見れば、羨まれるようなものを手にできる。

 

これ則ち幸せ、とは言えないが

これらを望む者は多い。

 

一方、資本主義社会においては

金や学力がないことで

進退窮まり苦しむことがある。

 

だから親は我が子に

金を残したいし

勉強をさせたい。

 

 

 

さて、「熊と踊れ」であるが

これはスウェーデンで実際に起こった連続銀行強盗と

その犯行グループをモデルにしたミステリー小説である。

 

主人公となる主犯格の三兄弟は

金も学力も持たず、暴力で物事を解決しようとする父のもとで育ち、

「金を持つこと」に執念を燃やしている。

 

しかし、実際に金を強奪したあと、

手に入れた達成感からか気分は高揚しているようだが、

はたから見てまったく幸せそうではない。

 

彼らの人生における選択肢を考えたとき、

残されていた常識的な選択肢では不満は消えず、

一生涯うだつが上がらないことが見通せてしまったのか。

銀行強盗という選択肢を取ってしまう姿を見て、

犯罪が世から消えてなくならないことの本質を垣間見た気がする。

【読書感想言わない文】八甲田山 死の彷徨

八甲田山 死の彷徨」(新田 次郎)

 

努力家は成功するが、

苦労家は失敗する。

 

両者の違いは、

やり方が正しいか

やり方が正しくないか

である。

 

「昨日は3時まで勉強したよ!」

とか

「英単語を50回ずつ書いたぜ!」

とか

勉強に関する武勇伝的なことを宣う輩は

うちの塾内にもわんさか湧いてくる。

 

こんな話を聞いたときは

肯定も否定もしない。

 

それで成果が出るのかどうかが大切だろう。

結果、成績があがれば「よく頑張ったね!」、

結果が変わらないもしくは下がるようなら

「このバカめ!」と全力で罵る。

 

能の世界の守破離を持ち出すまでもないが、

こちらは教えるプロとして、

基本的な(かつ効果的な)勉強方法を教えているのだから

それをしっかり守って成果を出すことに集中すれば良い。

 

プロセスの中で自己流にアレンジしたり

新しい方法を編み出したりなんてことは

いずれ自然発生的に出てくるものだよ。

 

 

さて、「八甲田山 死の彷徨」。

日露開戦を想定するときに、

ロシアの極寒地の攻略は大きな課題であった。

そこで真冬の八甲田山で2隊が行軍訓練をすることになる。

神田大尉が率いる青森5聯隊と

徳島大尉が率いる弘前31聯隊である。

 

前者は199名の死者を出し、

後者は死者0名、無事210キロの行程を踏破する。

 

詳しい内容には触れずにおくが、

生死を分けたのは、「情報収集」とそれに伴う「事前準備」、

最後は指揮官の「決断」(もしくは「見栄」)の差であった。

 

未知との闘いとは、

先を見通せない恐怖との闘いでもある。

 

ただし、問題を一つ一つ切り分けていくと

そのそれぞれの道に熟知している人がいるものだ。

 

その人から情報を引き出し「正しいやり方」を教わる。

それに併せて必要な準備をする。

 

そうしなければ、

いずれ恐怖に呑まれ間違った決断をするだろう。

引き返すことも出来ずに、死を待つのみである。

 

 

前期期末試験の結果が出揃ったが、

笑顔で帰ってきた生徒が多かった。

 

中1英語は塾内平均が95を超え、

中3英語も半数が90点台だった。

中2英語も点数としては印象が悪いが

学校の平均点から考えれば健闘したと言える。

 

正しいやり方で努力をすれば、

必ず良い結果が出る。

 

次回も期待しているよ。

【読書感想言わない文】ゼロの激震

「ゼロの激震」(安生 正)

明日で前期期末試験も終わる。

最後の最後まで、
為すべきことを為し、
成すべきことを成す。

言うは易し、行うは難し。

しかし、どうせ駄目だろう、
努力しても無駄だろうと言って、
まだ見ぬ失敗を恐れて、
失敗したときの言い訳の為に、
全力を出さずに流していては、
いずれ全力を出せない人間になるだろう。

まずは、己れの全力というものが、
大したものでないことを痛感すればいい。

上には上がいると、
悔しがればいい。

そうして、
まだまだ伸びる余地が、
改善する余地があることを知り、
出力の最大値を上げるにはどうすべきかを
考え抜けばいい。

全力を出す者にしか、
全力を伸ばすことは出来ない。

さて、「ゼロの激震」。

マグマを伴う大災害を前に、
国家をあげて立ち向かう、
緊張感ある物語である。

作中の内閣危機管理監の台詞に
「恐れるな。
結果を恐れるのではなく、
為すべきことから目を背けることを恐れよ。」
というものがあった。

いつものように、
物語の内容には触れないでおくが、
この一言に
身をつまされる思いをした人は
私だけではあるまい。


この夏を振り返ったとき
全力を尽くした。
為すべきことから目を背けなかった。と
胸を張って言える生徒も沢山いる。

そんな子は、きっと大丈夫。
結果はついてくる。

健闘を祈る。