【読書感想言わない文】熊と踊れ

「熊と踊れ」(アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ)

 

金と学力はいくらあっても邪魔にならない。

 

と、中学のときに師匠が言っていたのを

今でもよく覚えている。

 

日本の美意識(?)、道徳観(?)からしてみれば、

人目を憚ることなく銭金のことを口にすることは

汚い(?)、悪い(?)ことであった時代である。

 

愛情や友情など金であがなえないものに限って、

人生において大切なものは多いのも事実であり、

「金があれば幸せ」ということでは無いだろう。

 

一方、学力に目を向けてみると、

これもまた「学力があれば幸せ」とは限らない。

一流大学を出ていても自死を選ぶ者も絶えないし、

犯罪に手を染める者がいることもまた事実である。

 

もちろん、「幸せ」の定義をあえてせずに

以上のようなことを考えていても不毛であることは承知の上で、

もう少し話を進めてみたい。

 

人生とは取捨選択の連続であり、

その選択の先に現在もしくは未来の自分がいるのである。

 

金と学力には、この選択肢を広げる能力がある。

 

金を払えば出来ること、金を払えば手に入れられるものがある。

学力があれば出来ること、学力があれば手に入れられるものがある。

持たざる者から見れば、羨まれるようなことができる。

持たざる者から見れば、羨まれるようなものを手にできる。

 

これ則ち幸せ、とは言えないが

これらを望む者は多い。

 

一方、資本主義社会においては

金や学力がないことで

進退窮まり苦しむことがある。

 

だから親は我が子に

金を残したいし

勉強をさせたい。

 

 

 

さて、「熊と踊れ」であるが

これはスウェーデンで実際に起こった連続銀行強盗と

その犯行グループをモデルにしたミステリー小説である。

 

主人公となる主犯格の三兄弟は

金も学力も持たず、暴力で物事を解決しようとする父のもとで育ち、

「金を持つこと」に執念を燃やしている。

 

しかし、実際に金を強奪したあと、

手に入れた達成感からか気分は高揚しているようだが、

はたから見てまったく幸せそうではない。

 

彼らの人生における選択肢を考えたとき、

残されていた常識的な選択肢では不満は消えず、

一生涯うだつが上がらないことが見通せてしまったのか。

銀行強盗という選択肢を取ってしまう姿を見て、

犯罪が世から消えてなくならないことの本質を垣間見た気がする。

【読書感想言わない文】八甲田山 死の彷徨

八甲田山 死の彷徨」(新田 次郎)

 

努力家は成功するが、

苦労家は失敗する。

 

両者の違いは、

やり方が正しいか

やり方が正しくないか

である。

 

「昨日は3時まで勉強したよ!」

とか

「英単語を50回ずつ書いたぜ!」

とか

勉強に関する武勇伝的なことを宣う輩は

うちの塾内にもわんさか湧いてくる。

 

こんな話を聞いたときは

肯定も否定もしない。

 

それで成果が出るのかどうかが大切だろう。

結果、成績があがれば「よく頑張ったね!」、

結果が変わらないもしくは下がるようなら

「このバカめ!」と全力で罵る。

 

能の世界の守破離を持ち出すまでもないが、

こちらは教えるプロとして、

基本的な(かつ効果的な)勉強方法を教えているのだから

それをしっかり守って成果を出すことに集中すれば良い。

 

プロセスの中で自己流にアレンジしたり

新しい方法を編み出したりなんてことは

いずれ自然発生的に出てくるものだよ。

 

 

さて、「八甲田山 死の彷徨」。

日露開戦を想定するときに、

ロシアの極寒地の攻略は大きな課題であった。

そこで真冬の八甲田山で2隊が行軍訓練をすることになる。

神田大尉が率いる青森5聯隊と

徳島大尉が率いる弘前31聯隊である。

 

前者は199名の死者を出し、

後者は死者0名、無事210キロの行程を踏破する。

 

詳しい内容には触れずにおくが、

生死を分けたのは、「情報収集」とそれに伴う「事前準備」、

最後は指揮官の「決断」(もしくは「見栄」)の差であった。

 

未知との闘いとは、

先を見通せない恐怖との闘いでもある。

 

ただし、問題を一つ一つ切り分けていくと

そのそれぞれの道に熟知している人がいるものだ。

 

その人から情報を引き出し「正しいやり方」を教わる。

それに併せて必要な準備をする。

 

そうしなければ、

いずれ恐怖に呑まれ間違った決断をするだろう。

引き返すことも出来ずに、死を待つのみである。

 

 

前期期末試験の結果が出揃ったが、

笑顔で帰ってきた生徒が多かった。

 

中1英語は塾内平均が95を超え、

中3英語も半数が90点台だった。

中2英語も点数としては印象が悪いが

学校の平均点から考えれば健闘したと言える。

 

正しいやり方で努力をすれば、

必ず良い結果が出る。

 

次回も期待しているよ。

【読書感想言わない文】ゼロの激震

「ゼロの激震」(安生 正)

明日で前期期末試験も終わる。

最後の最後まで、
為すべきことを為し、
成すべきことを成す。

言うは易し、行うは難し。

しかし、どうせ駄目だろう、
努力しても無駄だろうと言って、
まだ見ぬ失敗を恐れて、
失敗したときの言い訳の為に、
全力を出さずに流していては、
いずれ全力を出せない人間になるだろう。

まずは、己れの全力というものが、
大したものでないことを痛感すればいい。

上には上がいると、
悔しがればいい。

そうして、
まだまだ伸びる余地が、
改善する余地があることを知り、
出力の最大値を上げるにはどうすべきかを
考え抜けばいい。

全力を出す者にしか、
全力を伸ばすことは出来ない。

さて、「ゼロの激震」。

マグマを伴う大災害を前に、
国家をあげて立ち向かう、
緊張感ある物語である。

作中の内閣危機管理監の台詞に
「恐れるな。
結果を恐れるのではなく、
為すべきことから目を背けることを恐れよ。」
というものがあった。

いつものように、
物語の内容には触れないでおくが、
この一言に
身をつまされる思いをした人は
私だけではあるまい。


この夏を振り返ったとき
全力を尽くした。
為すべきことから目を背けなかった。と
胸を張って言える生徒も沢山いる。

そんな子は、きっと大丈夫。
結果はついてくる。

健闘を祈る。

【読書感想言わない文】しゃばけ

しゃばけ」(畠中 恵)

 

表題の「しゃばけ」は、妖怪小説である。

 

妖怪小説と言うと、まっさきに京極夏彦氏が浮かぶが、

彼の描く「京極堂」シリーズは、ミステリー小説であり、

本物の「妖怪」は出てこない。

 

この世に不思議なものなど何もないというスタンスであり、

事件や不思議な現象などに妖怪の名を「便宜上」付けた上で、

その憑き物を落とすという手法で事件を解決に導く。

 

しゃばけは、ファンタジー小説であり、

登場人物として「妖怪」がそのまま出てくる。

不思議なことは不思議なまま、

空気のようになじんでいる。

 

妖怪の視点からも人間のことが語られることもあり、

なるほど人間だって「不思議」な生き物なのだなと

気付かされる。

 

さて、明後日から前期期末試験が始まる。

試験前にもかかわらず、

やらなければならないことをやらない人間のいる不思議。

 

 

少々手荒な方法で憑き物を落とさねばならないようだ。

【読書感想言わない文】潮騒

潮騒」(三島 由紀夫)

 

小中学生向け学習塾・満点道場を設立して、

本日で丸5年となった。

 

教室として借りたアパートの一室は

その日にトイレの水漏れが起きるほどボロく、

生徒数もわずか3名でのスタートだったため、

入って来る月謝よりも出ていく金額が(圧倒的に)大きかった。

 

このままあっという間に倒産かな~

これからズブズブのの借金地獄かな~

と覚悟するしかなかった

 

が、

 

吹けば飛ぶような零細企業では

大した額の借金も出来る訳もないと気付いて

よく分からない安心を得たりした。

 

 

 

 

金の心配をしても仕方がない。

 

と、開き直ってみると人間は面白いもので、

どこまで採算度外視で仕事が出来るのか試したくなり、

考えつく限りのテスト対策を講じていったところ、

皆びっくりするぐらい成績が上がった。

 

この出来事は生徒たちにとって

とても自信になったようだが、

どっこい、こちらも自信が付いた。

 

いける。

 

 

生徒と二人三脚、

真面目に向き合って取り組めば

きちんと成果は出る。

 

そう確信し、突っ走ってきた。

 

 

さて、「潮騒」だが、

三島由紀夫の小説の中で

こんなにさわやかな純愛を描いたものは

他にないのではないか。

 

歌島を舞台とする物語は

全編を通じて海の気配を感じる。

漁師や海女、灯台守、航海士・・・

海で生きる人々の躍動感がまぶしい。

 

主人公は勉強が苦手で、口下手でもある。

だが仕事にも恋人にも真面目に向き合うその姿勢は

周りの誰もが認め、信頼を集める。

 

こらからも

仕事と生徒に真面目に向き合っていこうと

5年という節目に思った。

【読書感想言わない文】植物図鑑

「植物図鑑」(有川 浩)

 

建築史という観点から仏教を見てみると、

各宗派ごとの建築の様式や建物の配置の違いに、

教義に基づく建築哲学を感じることができる。

 

密教系の寺院では様々な種類の結界が幾重にも張られている。

(自然や法具などの目に見えない力による結界の話は、

私には語る資格がないので割愛する。)

 

建築物の特徴としては

仏の空間である内陣と、人の空間である外陣との間に

蔀戸や格子戸などで区切りを明確にしており、

外陣で礼拝をするにも御本尊は見えない・見えにくい仕様だ。

まさに「密教」。御本尊を物理的に隠している。

なお、建物の配置は曼荼羅を表現している。

 

これに対して、庶民に受け入れられやすい教義を持つ宗派では、

内陣と外陣の境目に戸は無く(あっても緩め)、

開放されているときは建物の外からも御本尊を拝める仕様に

なっているところが多く存在する。

 

面白いのは、建築年代が新しくなるにつれ

全国的に結界の緩めの寺院が増える傾向にあり、

庶民にオープンな姿勢になっているように感じるられることだ。

 

 

さて、「植物図鑑」(有川浩)である。

 

有川氏の小説を読む度に同様のことを感じるのだが、

まず、圧倒的な情報収集量を確保していて、

もはやオタクと互角かそれ以上の知識を備えた上で、

読者に嫌味にならないよう

エンターテインメントに昇華させる技術がすごい。

 

またリーダビリティ(読みやすさ)を追求しており、

読者にページを捲らす力はもはや暴力に近い。

 

その上で、ベタ甘⇔切ない恋愛要素を

これまた良い塩梅でぶっこんでくるので

オジサン読者すらもキャーキャー言いながら読む羽目になる。

 

これら、作品に一貫して現れる作者の姿勢は

もはや一種の哲学と呼んでよいと思う。

 

この有川氏の哲学が、

一般人が「雑草」と呼ぶ植物に命を吹き込んだもの、

それが植物図鑑である。

 

「雑草」でこんなに食欲を刺激されたことはない。

また「雑草」でこんなにキュンキュンさせられたことはない。

「雑草」を使って人々を寝不足へいざない、不健康にするもの、

それが植物図鑑である。

 

南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土へ行けるという教えは

広く庶民に受け入れられた。

 

有川小説を読むと極楽気分を味わえる。

広く庶民に受け入れられる訳である。

【読書感想言わない文】関ケ原

関ケ原」(司馬 遼太郎)

 

満点道場に通う生徒たちの中学校はいずれも二期制である。

三学期制だった私からすると、

この二期制はいまだにしっくりこない。

 

理由は、期の途中で長期休暇が入ることにより

弊害が発生するからである。

 

三学期制では1学期の期末試験の後に夏休み、

2学期の期末試験の後に冬休みであった。

区切りがついた上での長期休暇であるため、

休みの期間では、復習も予習もバランス良く出来た。

 

また、受験生は2学期の期末試験の結果を踏まえた

内申点を基に受験校の選定を行う為、

少なくとも2学期が終わるまでは真剣に授業を受ける。

 

 

一方、二期制では、前期が4月から10月、

後期が10月から3月までである。

こうなると、前期の期末試験の前に夏休み、

後期中間試験と学年末試験の間に冬休みが入ることになる。

 

これでは、長期休暇中は休暇明けに迫る定期試験に備えて

その範囲の勉強しか力が入らないではないか。

というか、休暇明けの試験が気になって、

部活も遊びも集中できない。

かといって、そんな長期間集中力を継続できる生徒も少なく

メリハリのない雰囲気が生まれてしまう。

 

しかも、受験生は11月に行われる後期中間試験の後には

早々と内申点が出てしまう為、

学校の授業をおろそかにする生徒が多い。

 

そこから入試が終わるまでは「個人プレー」で勉強。

学校に通う生徒には、一体どんなメリットがあるのか。

 

 

この際はっきり言う、クズ制度だわ。

 

しかし、それでもみな同じ条件である以上、

競争では勝たなければならない。

 

 

さて、「関ケ原」。

歴史を見れば東軍の圧勝に終わることは分かっているし、

その後徳川家が盤石の体制を築き上げたことも事実であるので、

ハラハラ感というのは正直あまりない。

しかし、文庫三冊にまたがって、

石田三成や家康、それらをとりまく人物たちの内面を

しっかりと描写してくれているので、

読者としてそれぞれの人物へ感情移入がしやすい。

また、随所にちりばめられているトリビアも面白い。

文庫3冊にまたがる大作であるが、一向に飽きが来ない。

最後までフムフム言いながら読めた。

 

中学生たちは今日で夏休みも終わり。

明日から学校が始まり、

天下分け目の勝負に突入することになる。

東軍よろしく圧勝してほしい。